搭乗券の紹介
Bording pass

南大東島行きチケット
●1996年7月に沖縄本島東方400kmの洋上に浮かぶ南大東島(MMD)に行ったときのチケット。機種はDHC−6で、那覇から1時間30分でした。座席は荷物重量と体重測定のあと決定されます。
 南・北・沖大東島は明治維新まで無人島で、八丈島の玉置翁が入植し開拓したそうです。入植される前にロシアの艦隊が島を認識し、艦の名前に由来し「ボロジノ島」と名付けましたが、そののち当時の沖縄県職員が県の管轄であることを明言し、日本領土となったようです。南大東島のはるか南に浮かぶ沖大東島(北大東村)は現在は無人島です。
 島では沖縄県唯一の鉄道(シュガートレイン〜1983まで運行)の展示や明治維新以後の開拓の歴史が郷土館で紹介されています。また、台風で有名な南大東島地方気象台はお願いすれば見学でき、職員の方から丁寧に教えて頂けます。鍾乳洞が島のはずれにありますが、役場で鍵を借り鍾乳洞の入口で自分で電源を入れて入ります。
NAHA(ROAH/OKA)->Minami-daito(ROMD/MMD)

与那国島行きチケット
●1994年9月に与那国島(OGN)に行ったときのチケット。機種はYS−11で石垣島から約40分。島は国境警備が厳しいんだろうな、って思ったら、普通ののんびりした島でした。島で食べたカジキがうまかったです!
 地元民宿の資料によると、与那国島は沖縄が米軍支配下の時、国境が明確でなく台湾との行き来が自由だったそうです。当時の島民は台湾の大学などで学んでいたそうです。
Ishigaki(ROIG/ISG)->Yonaguni(ROYN/OGN)

宮古島行きチケット
●1995年7月に羽田から宮古島(MMY)に行ったときのチケット。機種はB3−200で羽田から約3時間。当時のコンフィグレーションなのでFが窓際です。
Tokyo(Haneda)(RJTT/HND)->Miyako(ROMY/MMY)

松山行きチケット
●1997年1月に広島西(HIW)から松山(MYJ)に宇和島の同窓会で帰ったときのチケット。機種はJS31で15分です。広島西−松山間の利用率は非常に悪いですが、利用してみると所要時間15分は本当に便利です! 広島西にはちゃんとした発券端末がないようで、手でちぎるタイプでした。この路線は国内初のコミュータ路線でしたが、地方自治体の補助金が打ち切られ、遂に99年春に休航となります。私は非常に残念です。
Hiroshima-nishi(RJBH/HIW)->Matsuyama(RJOM/MYJ)


マリンジャンボのときのチケット
●1993年10月に常駐先の那覇から羽田に帰ってくるときのマリンジャンボの時のチケット。当時那覇は雨で、私はマリンジャンボを初めて見たのですが、雨にけむるマリンジャンボの左側面に描かれている赤いタイを見たときは、「エ〜ッ!今からあんなヒコーキに乗るのか〜!」とか思ってしまいました(本当はホントにうれしかったです!)。
★私としてはマリンジャンボ(JA8963)の復活を願っています。

南大東島行き
●1999年7月に再び行った南大東行きのチケット。普通とちがって、大きいほうが搭乗券となります。
NAHA(ROAH/OKA)->Minami-daito(ROMD/MMD)

南大東経由那覇行き
●同じく、北大東発南大東経由那覇行きのチケット。北大東から南大東へ行くときは一番上をちぎり、南大東で一端降機して再び同じ飛行機に乗るときに2番目をちぎって乗ります。
Kita-daito(RORK/KTD)->Minami-daito(ROMD/MMD)->NAHA(ROAH/OKA)

伊是名発伊江島経由那覇行き
●伊是名島から那覇へ飛んだ時の搭乗引換券。実際はこの券を機長さんに渡し、搭乗券はありません。
Izena-airfield(----/---)->NAHA(ROAH/OKA)


2000.7.16
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